話の作り方(ゲーム用・現時点でのまとめ)
話作りは素人なんですけど、素人なりにいろいろ調べたり、スマゲビで実際に作った結果をもとに、こうすると組み立てやすいのかなーみたいなことをまとめておきます(つまり、自分用です)
物語は世界観ではなくキャラが語る
いくら複雑で細かくて素敵な世界観を作っても、そのなかで動くキャラがいないと世界観が役に立ちません。
そして、物語中でその複雑な世界観をすべて説明しきれるかというと、たぶん、ほとんど説明できないです(強引に説明しようとすると、ほんとうに説明テキストになって読まれないであろう)。
物語、ドラマはキャラとキャラの絡み合いで生まれていくもので、会話(orコミュニケーション)なくしてストーリーを先へ進めることはできないなーと。
世界観に理屈をつけていくと、すごくつまらなくなりがち
例えば、閉鎖世界の館に閉じ込められた主人公たち、というストーリーだったとします。
なぜ外に出られないの? この館はどこにあるの? 呪いで出られないなら、その仕組みを物理的に語れる? 館の周りに住んでる人は、この館を怪しいと思わないの? この館の近辺で何人も行方不明になってたら、国が介入するよね? みたいなツッコミを作りながら理屈付けしていくと、どんどん言い訳じみた設定が増えていきます。
嘘を嘘の上塗りでごまかしていくというか、やればやるほど矛盾が出てきて、言い訳を考えてるうちに作ってる側が冷めていく…というような感じで、(舞台は違いますが)なんども作り直した結果、得た結論は下記。
「説明を省く」or「設定を作っても、あえて説明をしない」
神様の存在を理屈付けて説明したり、存在を立証しようとしたり、幻の大陸アトランティスの存在を論破したりすると、ロマンが消えてしまう。ふしぎはふしぎだから魅力的なんだと。
推測程度の設定はつけておくべきだと思うのですけど、世界観のすべてを説明しきれるくらい理屈立ててしまうのは、よほど技術力がある人じゃない限りはやめたほうがいいのかなーと。
物語の長さはキャラ数で決まる
主に、メインキャラを増やせば増やすほど、そのキャラを描くために割く時間が増えるので、物語が長くなります。
ゲーム1時間程度の短編なら、細かくキャラを描けるのは1人だけであろうなーと作っていて思いました。
思い出せば、アニメも第三話までで世界観と目的を説明して、9話くらいまで(適当)はアニメ世界の登場人物、新キャラや仲間一人ひとりを軸に話を展開させていくものがあるよなーと。
マンガも、例えばダンジョン飯なんかも、1話ごとにメインキャラを軸に話を描いてた記憶があります。
つまり、物語はキャラが多ければ多いほど、全体の尺が長くなると。1時間で1人しかキャラを描けないと仮定するなら、総プレイ時間で逆算すると登場キャラ=物語の長さが出て来るのではないか……と推測しています。
そこで思ったこと
ふとあるあるな舞台で、「絶海の孤島で起こる殺人事件」「絶海の孤島にある監獄」みたいな、「孤島」ベースの世界観づくりって、外界から隔絶されている=外界を語る必要がない=孤島内部で普通とは違う常識があってもそこまで矛盾しないのかなーと。
山の奥、絶海の孤島みたいな、人が寄り付かない場所を舞台にすれば、異空間みたいな露骨な設定よりもナチュラルにまとまるよな~、っていう程度ですが。
構成のやり方
序盤で大きなイベントを用意して、中盤まではメインキャラを個別に立ててどんなキャラなのか伝えたら、中盤で大きなイベントを用意して、後半は一大事件をみんなで解決する……というのがざっくりとした基本構成なんでしょうか。
言われてみれば、FFシリーズの6なんかはこんなまとめ方だったなぁ。これを前提にアニメやマンガやラノベを読むと、意外ときれいに型にはまって、そのなかでどうきれいでおもしろい作り方をしてるのか、みたいのが見えてくる……ような気がしています。
まとめ
あくまでも勉強中なので、これで別にストーリー作りがうまくなるわけではないし(結局作らないとうまくならないのは事実)、これが正解とは限らないし、最終的にはカンになるのは見えてるんですけど、全体をまとめる上での指標を作らないとなかなか作っても作っても終わらなくなりがちなので、もう少しこのへんを突き詰めたいなーと考えています。
あとは色んな作品をサンプリングしてどんな作り方をしてるのか、よく見ることなのかな~、どうなんだろう。
ゲームのカメラで気になるところ
3Dでゲームを作ってみてすごく感じたんですが、カメラの扱いって悩みますね。なにに悩むかというと、カメラ一発だけでも心情や演出がガッチリ表現できること。あと、2Dで作るときは思い至りもしなかった、「どこにカメラを置くか」という問題です。
カメラ一発で演出できる(でも相当むずい)
まずゲーム上でカメラを動かすって、そもそもエンジンにそういう機能が搭載されていて、かつキャラクターをリアルタイムで眺めながらカメラ回さないとすごくやりづらいんですよね。昔のゲームってどうしてたんだろう。コンテ切ったあと、意図にそうように距離計算したり予測しながら作ってたんだろうか。そうだったらすごく大変だ。
スマイルゲームビルダーの場合、キャラがカメラ演出中に表示されないので、キャラが居る位置を想像しながらカメラを動かすことになります。もちろんテストプレイで何度も意図通りの位置にキャラがいるかどうかチェックしながら作るんですけど、これかなりやりづらいんですよね。でも実装する上で、これ以上作りやすい案を思いつかないので、これで(他のエンジンも)作ってるのかな~。
2Dとの違い
RPGの2Dって、カメラ完全固定にせざるを得ないので、カメラは可視範囲程度しか影響してこなかったんですが、3Dだと手前に物体があったらすごく邪魔になったりとか、けっこう苦労するんですよね。2Dで可視範囲調整できないのは苦痛だったんですが、3Dだと調整できる代わりに物理的に見えなくなるという問題が起きるというジレンマ。
邪魔なオブジェクトをイベント開始時に消すみたいなこと、やりますよね。プログラムレベルからいじれるとしても、どの距離のものを自動で消すとか不可能ではなさそうだけど、マップエディタ上であらゆるものを計算しないと、なにかしら残ってしまうだろうしなあ。
2Dでは可視範囲でゲームが変わる
見下ろし型のRPGで顕著ですが、画面1つで見える範囲が変わると一気にゲームの雰囲気や、一度に見える情報量が変わります。可視範囲の判断基準がなかったらどうするでしょう?
ツクールなどは従来は完全固定1マス32x32pxの解像度640x480pxのようにフォーマットが決まっていたので、ゲーム画面の可視範囲も決まってましたが、最新のツクールやウディタは、ほぼその制限が取り払われたので、自分でルールを決める必要が出てきました。
昔のRPGは可視範囲が狭いのを利用して迷路を作ってましたが、高解像度で1マス基準が32px、40pxだと可視範囲が広すぎて、同じ思考回路でマップを作ると迷路になりません。それどころか、情報量が多すぎて邪魔に感じるほどになってきます。
過去の仕様と現在の仕様の整合性をどう取るか、そもそも過去の仕様を切り捨てて同じ考え方をせずに作るか、など取捨選択が必要になってくるでしょう。
過去の仕様は過去の時代にあわせて作られている
今、昔と同じやり方でゲームを作ろうとしても通じないです。昔みたいなゲームを作りたいなーと、今のフォーマットで作りはじめるといろんな箇所で違和感と不整合にぶつかります。昔風のゲームがそれっぽく動いてるのは、開発者が研究して今の仕様にあわせた結果なんだなーと。
じゃあいま作るならどう作るかな~、と考えるのが、カメラにしろ何にしろ、健全な作り方になるのかな…と感じてるのでした。
(メモ)ゲームの「奥深さ」と「反応」について
今日延々考えてたことを、全然まとまってないのですが今後のテーマのひとつになりそうだったので寝る前にメモ。間違ってるところもあるかもなので、これから考えるテーマのひとつくらいに受け取ってください。
奥深さ
ゲームの奥深さは、「プレイヤーの腕」「戦略」、それに「暗記」が要素としてあるっぽい(他にもあったらご教授ください)。今回は暗記について。
RPGならジョブ、スキル、敵、敵の行動パターン、装備、アイテム、ダンジョンの構造、ダンジョン内で手に入るもの、それらすべてを計算して戦略を練りながら攻略するわけだけど、それらはすべて暗記していないと正確な効果が出ない。やり込むときはドロップテーブルとか暗記しますもんね。
FPSなら敵を撃つのは腕だし戦略だけど、マップ構造を完璧に暗記しないとほかが役に立ちづらい。マップを覚えてなんぼ。
STGなら敵の出現・行動パターンを完璧に暗記するのはもちろん、極めた人はBGMから何が次に出てくるかを暗記して画面に敵が出る前に倒す、などやってのけるらしい。
カードゲームなら、カードの内容を覚えてないと話にならない。
格ゲーならキャラの技(相手キャラの技も)、コンボパターン、ゲームシステム、あらゆる要素を暗記しないと対応できない。
アクションゲームなら敵キャラの行動パターンを覚えることで攻略してく。
他にも色々あると思うけど、あらゆる要素に「暗記」が含まれていて、「覚えてなくても遊べる」=敷居の低さ、「覚えるほどできることが広がっていく」=奥深さに通じるっぽい。
これが攻略wikiとか攻略本が必要になる要因なんだろうけど……(いいのかどうか、今は判断できない)
ちなみに
「暗記」は勉強とほぼ一緒で、知ったらまとめて反復練習が一番近道かな? その物事にどれだけ時間をかけてうまく覚える方法を見つけたか。アクションゲームなら「死んで覚える」がそれ。
創作も感性だけだと効率が上がらないから、途中で理屈を覚えたりする。音楽ならそれがスケールだったりコードだったり。絵ならきっと人体の仕組みを覚えたりすることもあるだろうし、色彩の仕組みを調べたりするだろうし。プログラミングはほぼ暗記問題祭りだし、その覚えたことを必要なときに瞬時にロードして、うまく応用できるかが物を言う感じある(これが工夫で、工夫は覚えてないとできない)。
ゲームも似たような感じで、ある程度以上やりこむなら越えなきゃいけない壁がある。これに暗記も含まれてる。
反応について
ゲームはインタラクティブなことが特徴だけど、それは何かをしたら「反応」が返ってくることを指す。で、反応はなにもゲームだけではなかったと。
ちょうど最近Twitterでキャラクターの個性というのは「XXが苦手」「○○が得意」だけではなく、その苦手なもの、得意なものに対してどう反応するかまでを含めて個性と呼ぶ、という話題が出てたんですが、これも上記の「反応」に似てるよな~と考えたところで、例えばyoutuberのゲーム実況なんかも動画主の反応が楽しいんだよなと。動画や曲をニコ動などにアップするとき一番楽しいのは視聴者のレスポンス(反応)だよなと。人間と話してるときも、反応があるからコミュニケーションになるんだよなと。
ゲームの事ばっかり考えてたけど、「反応」ってもっと広く考えることができるな~と感じたのでした。色々応用できるかな~。
箱セレの制作を進めつつ
いやまあ、まだ着手までは入ってないんですけど。次の企画で一緒にやる絵描きさんも決まって、スマゲビゲーの方の作業もほぼ終わって、あとはレビュー後手直し・原稿作業が残るのみ。レミャードリィBGMの制作も片付いたってことで、やっとこ箱セレの制作に入れそうな段に入りました。長かった……まるまる3ヶ月かかった。
完全に止まっていた残りキャラのイラストもやっと進み始めて、自分によらない外注素材周りもあとちょっとかな~って雰囲気が漂ってきました。長かった……。
あとは自分で作るドット絵なんだけど、ドット絵でちょっと詰まってて、今はそれより先にやっておかないといけない、次の企画群の草案を30コくらい作ってるとこです。
企画考えて自分で隅々まで手を入れてゲームを作るっていうのは、長い間ずっと夢見てたことだったので、少しずつ勉強を続けて、やっと実現できそうな段までこれたのが、とても嬉しいです。
結局のとこ、やりたいことがあるなら自分のお金で、時間を使って、スキルを上げて、自分でできるよってところまで行かないと、なにも達成できないというのが、今の答えなのかな~と。
「おれ企画やるからプログラマー・グラフィッカー・サウンド募集」的なやつはだいたい頓挫すると思っていいです。頓挫したし。
例えお金を集められても、開発のノウハウがなければ先に進むことは難しいでしょう。たぶん。ゲームの作り方を知らないまま走り始めたら、苦労すると思う。それができちゃうなら完全にプロのディレクターとか企画屋とかプロデューサーレベル、仕事にできるレベルですし。
ただ、現時点ではまだ「完成させられる」というのを人様に見せることができていないので、今はそれを見せられるよう毎日一歩一歩進んでいくのみですね。さ~がんばるぞ!
すべては演出のために
記事のはじめに
ちょっとまだ研究中の要素なのですが、みんなにも共有したいので、今わかってることのさわりをまとめてみました。知ってる人は知ってると思いますが、これからゲームを作る人にとってのヒントになったらいいなあと思います。雲をつかむような話題なのですいません。
本文スタート
ゲームを作っていて感じたのは、面白くなるも、面白くなくなるも、活かすも殺すもすべて演出次第であるなあ、と。
演出に含まれる要素ってたくさんあるので一言では言い尽くせないのですが、例えば時間的に言えば間。空間的に言えばキャラクターの位置とカメラに映る距離関係(など)、ライティング。テキストで言えば、「……」や「――」や「、」などの使い方(間に近い)、セリフの言い回し、それらを含めた文章の表現方法。いろいろあると思うんですが、それに加えてゲームには、「パラメータ」って概念があるんですよね。
パラメータも演出のうち
ザコ敵なら1ターンで全滅させられる。ボスなら苦労しないと倒せない。それ以外にも、HPが0になっても倒れないキャラクターなど、パラメータから演出を作ることができると。
ゲームバランスも、演出のうちだったんですね。そう考えると、バトルも演出のひとつなのかなー、なんて。
すばらしいゲームは演出もすばらしい。意味のない要素がない。音楽でも「このパートにはどんな意味があるんだい?」って感じで、音色、まとまりとしてのフレーズ、小節間のフレーズ、縦軸で見る和音の繋がりで細かく意図を盛り込んでいくのが基本なのですが、それをゲームでは拡大解釈した形で盛り込むことができるみたいです。
全体の方針にあわせてパートごとに「こうしました」っていう「意図」を盛り込む。それが大切なんだなあ、と。
インタラクティブなところも活かしたい
ちなみにインタラクティブとは「対話型」「双方向」、つまり「なにかをしたら結果が返ってくる・反応がある」ことを指します。まさにゲームのことです。
既存ゲームでもたくさんいろんな試みがされてるんですが、クロノトリガーのルッカの母親イベントとか、MGS3のラストシーンとか、バイオハザード1のかゆうまとか、プレイヤーの意思を問うイベント、自動では進まない・自動で進ませてはならない、などいろんなアプローチがあるのかな。I wanna be the guyなんかもすべては演出だと思います。
これをうまく使うと、びっくりするほど衝撃的な体験ができるので、やっぱりゲームは「体験型」のメディアなんだなあと思う次第です。ちょうどVRとかいろんな試みがされてるので、今後はそういうところからも面白い提案が出てくるんでしょうね。もう出てきてるかな?
インタラクティブな表現はゲームでしかできないことで、上記みたいなヒントがあれば割とゲーマーなら思い当たる作品が出てくると思うので、そこから「このゲームのこのイベントは、こういう理由でこんな体験型のイベントがあった」みたいに掘り下げて、「なぜそうしたのか」を自分なりに解釈していくと、演出のデータベースができていくのかな~なんて感じています。
実際作るときは
そうすると「じゃあ自分はこういうイベントでこういう演出をしよう」なんて雰囲気で、最初は真似事かもしれないですけど、自分なりにやりたいことのアイディアをゲームで表現できるようになる、もしくは訓練でできるようにしていくと。
基本は「なにかをしたら、なにか返ってくる」ことなので、ここから色々工夫すると、なにかおもしろい提案ができるかもしれません。これは他の分野みたいな一方通行の分野ではなかなか出てこない提案なので(あるにはある)、突き詰めて考えてみたいですね。
もちろん、すべては演出のために。
戦略性を上げるとめんどくなる問題について
ゲームを作る側としては、やっぱりなんか変わった機能を入れたくなるもんなんですけど、オーソドックスと言われるものになにかひとつ追加するって、けっこう危険なんですよね。
例えば
ターン制RPGのバトルで、1人頭1ポイントのコスト消費して行動できるとします。それが1ターンにキャラクター数ぶんのポイント(4人なら4ポイント)もらえて、1人が4回行動できる……とか。あるあるです。
これって上記の案のまま実装すると、(従来の仕様のままなら)オートバトルできなくなるし、1ターンでボタンを押す回数も増えますし、とにかく手数が増えるんですよね。1ターンで考えなきゃならないことも増える。
確かに戦略性は上がるし、便利になるんだけど、通常戦闘時にボタン4回「たたかう」を選べば戦えたはずが、ポイント割り振りの仕様によっては手数が倍にも3倍にもなってしまうんですね。これ、100回1000回戦うRPGなら、1ターンにボタンを押す回数が400回なら800~1200回になるってことなんで、重ねていくと大変なことになるわけです。
オートバトルを入れるなら、プログラム側でも少し手を加えなければいけない(逆に言うと、先に加えられるよう作っておかないとめんどくさい)とか、色々問題が出てきますし。
なもんで、なにか仕様を加えた上で面白くまとめてあるゲームは、そのあたりかなり考えつくされてるな~って思います。スゴイ。
そんな感じで
従来のテンポのいいオーソドックスな仕様をさらにテンポよくするようなアップデート路線を選んだほうがいいよなーってなるんですね。さいきんのソシャゲでもあるあるですが、「そもそもコマンド選択せずにワンボタンで戦闘開始」とか。
戦略性重視で時間をかけて戦うなら、その1度の戦闘でもらえる経験値なんかも、既存のテンポのいいRPGで同じ時間をかけたものと同等くらいのリターンがないと、戦闘にかかる時間のぶん、プレイタイムが増していきますし。
ぜったいにすでにある同ジャンルの作品と比較されるので、そこをなんとかしてやらないと、それ以前にでた作品のほうが面白いじゃん、ってなってしまう。そうして調べていくと、人気作品って「増やす」んじゃなくて「削る」路線でアップデートしてることに気付くようになってくるかなーと。
これは一例で
割りとそんな感じで、そこかしこに洗練するべき要素があって、先人はそれをガッツリいじっていった痕跡がやっぱり調べてくると見えるんですよね。
今後はソシャゲ派生のRPGの台頭もあって、これまで当たり前だったことでも「面倒」って切り捨てられるようになっていくでしょうし。すばやさの概念とか。
昔から「これは少し面倒だけど、あったほうがいいよなー」って言われてた要素が少しずつ削り取られていく歴史が続いてるので、これからもどんどん単純化していくのだろうなーって考えてます。
一時期話題になっていた「ボタン押したら結果が出る」みたいな仕組みって、割とその、考えに考えつくされた結果出てきたものなんじゃないかな~なんて思ったり。演出含めしっかりまとめれば、それでも十分面白いですもんね。
そういうことを考えてると、思考の迷宮にさまよい込んでしまいますが、それはそれで楽しいので、今あるものに疑問を持ってみるのも楽しいかもしれませんね。
「作る」とは、”できない”を”できる”に変えていく工程のこと
ゲーム作りの話題です。最近とみに思うことなのですが、言葉にすれば「作って形としてまとめる」と簡単にまとめられるのですが、とにかくひたすら次々にトラブルが起きていくのですね。
よほどのお金や時間が余ってない限り、”こういうものが作りたいけど、事情で作れない”みたいな状態がずっと続く。それならまだしも、”実際作り始めたら、中断せざるを得ないトラブルが発生する”、そういうことが次々に起きるのでした。
予防線をいくら張っても不足の事態は起こる。そうしたことに対応するのが、まとめ役のしごとなのですね。
例えば
開発中の「箱庭セレナータ」はもともと僕が作ろうと考えていた企画内容から程遠いレベルに改変してます。
もともと、このゲームはゴシック&スチームパンクの3DダンジョンRPGでした。それをわけていただける素材や、参加していただける方の作風にあわせて改変していった結果、童話風の見た目のRPGになった……という経緯があります(もちろん、自分が好きな落とし所を探りつつ、練って練って練り上げた結果、この路線になった)。
これがやりたいけど、できない。あれがやりたいけど、できない。だから自分の引き出しと、人の引き出しからできることをまとめ直して、キレイな形に整理して、落とし込むというのが、作ることなのではないかなと。
ディレクションで上達するスキル
間違いなくこれは、「集まった人・素材をキレイに整理してまとめるスキル」だと思います。これをやっておくと、誰かの下で働くときも、リーダーが求めるものが察せるようになります。何に苦労しているのか、ある程度察せるようになります。
そして、物を作るときの落とし所……”今あるもので何を作れるのか”まとめる速度がアップします。これにもパターンがあるというのに、最近気付き始めました。
まだまだ先がある
でもこの解釈の先にも、まだまだ先があるように思います。上記のように、まとめていて気付いたのですが、まとめるにもパターンがあるみたいなんですよね。
たぶんこのスキルが極まると、俯瞰して何が足りない・足りてるかを予測して、ひとつひとつ、できないことをできることに変えていく(現実的でないことを現実的な範囲に落とし込んでいく)みたいな感じになっていくのかな~なんて推測しています。
大切なのは、言語化
こういうことって、説明できなくてもカンでできる……聞けば当たり前……みたいになりがちなのですが、言葉で説明するのって大変なんですよね。思いつかない。
自分がこうしてブログにまとめているのは、考えていることを文章化して、自分の言葉で説明できるようにする訓練でもあります。
まだまだ未熟ですが、自分の足跡を誰かが見て、何かの参考になるといいなぁ、と思います。