「作る」とは、”できない”を”できる”に変えていく工程のこと
ゲーム作りの話題です。最近とみに思うことなのですが、言葉にすれば「作って形としてまとめる」と簡単にまとめられるのですが、とにかくひたすら次々にトラブルが起きていくのですね。
よほどのお金や時間が余ってない限り、”こういうものが作りたいけど、事情で作れない”みたいな状態がずっと続く。それならまだしも、”実際作り始めたら、中断せざるを得ないトラブルが発生する”、そういうことが次々に起きるのでした。
予防線をいくら張っても不足の事態は起こる。そうしたことに対応するのが、まとめ役のしごとなのですね。
例えば
開発中の「箱庭セレナータ」はもともと僕が作ろうと考えていた企画内容から程遠いレベルに改変してます。
もともと、このゲームはゴシック&スチームパンクの3DダンジョンRPGでした。それをわけていただける素材や、参加していただける方の作風にあわせて改変していった結果、童話風の見た目のRPGになった……という経緯があります(もちろん、自分が好きな落とし所を探りつつ、練って練って練り上げた結果、この路線になった)。
これがやりたいけど、できない。あれがやりたいけど、できない。だから自分の引き出しと、人の引き出しからできることをまとめ直して、キレイな形に整理して、落とし込むというのが、作ることなのではないかなと。
ディレクションで上達するスキル
間違いなくこれは、「集まった人・素材をキレイに整理してまとめるスキル」だと思います。これをやっておくと、誰かの下で働くときも、リーダーが求めるものが察せるようになります。何に苦労しているのか、ある程度察せるようになります。
そして、物を作るときの落とし所……”今あるもので何を作れるのか”まとめる速度がアップします。これにもパターンがあるというのに、最近気付き始めました。
まだまだ先がある
でもこの解釈の先にも、まだまだ先があるように思います。上記のように、まとめていて気付いたのですが、まとめるにもパターンがあるみたいなんですよね。
たぶんこのスキルが極まると、俯瞰して何が足りない・足りてるかを予測して、ひとつひとつ、できないことをできることに変えていく(現実的でないことを現実的な範囲に落とし込んでいく)みたいな感じになっていくのかな~なんて推測しています。
大切なのは、言語化
こういうことって、説明できなくてもカンでできる……聞けば当たり前……みたいになりがちなのですが、言葉で説明するのって大変なんですよね。思いつかない。
自分がこうしてブログにまとめているのは、考えていることを文章化して、自分の言葉で説明できるようにする訓練でもあります。
まだまだ未熟ですが、自分の足跡を誰かが見て、何かの参考になるといいなぁ、と思います。