【雑記】やっとゲームをリリースできました、という苦労話
長かった、4~5年作ってた気がする。まだ終わってはいないけど。作ろうと志して10年かかりました。ちなみに挫折履歴とやりたかったことは下記。
挫折履歴
- 2008年 プログラマと共同制作、連絡が取れなくなって挫折
- 2009年 プログラマと共同制作、最終的にうやむやになって挫折
- 同年 他人と組むのを諦めてツクールVXで組み始めて、理解できなくて挫折
- 2011年 会社を辞めて独立、ツクールVXAで組み始める
- 2012年 ↑スクリプトの理解度の問題で挫折
- 同年 ウディタで組み直し始める
- 2014年 ついに箱庭セレナータ体験版までこぎつける
- 2018年 悪戦苦闘の末、やっと本編ひとあそびverリリース
やりたかったこと
- 3DダンジョンRPG作りたかったのに、いつのまにか2DRPGを作ってた
- 2Dやるなら本格的な昔ながらのRPGが作りたい
- でも、見た目は今風な感じにしたい、キャラ絵とか
- 女性にも遊んでもらえるような見た目にしたい
- レベル上げしてもしなくてもクリアできて、RTAもできるやつにしたい
- ジョブチェンジ、スキルシステムを自分なりに読み解いたものにしたい
- 何度も遊べる作りにしたい
苦労話
音楽の仕事していて、どうしてもミスマッチ感をかんじていたというか、他の人とのズレをすごく感じてました。
音楽ってゲーム開発とはだいぶ切り離された独立した分野で、最終的には生演奏・ライブ・スタジオで収録なんかの、完全に音楽音楽した方向に行かざるを得なかった。
みながそっち方面にどんどん進出していくなか、「あれっ、僕はゲームが作りたかったんだけどなぁ」「これ、違うな…」っていう思いがすごく強くなっていって。求められることとやりたいことのズレをどんどん強く感じるようになっていったのでした。
そのズレを解消するために、開発人数の少なく、より深く介入しやすい個人制作ゲームの仕事を受けたりしつつ、お仕事で得た収入をゲーム制作に投入していった、というのが独立してからの自分なのでありました。
かといって投資者からお金を募って作ると、僕のゲームではなくなる。お金を出した人が一番偉いし、権利はそこへ行ってしまう。僕が考えたものなのに僕が関われなくなる可能性が1%でもあるなら、それはイヤなので。プログラマと組んだら、僕自身の成長がない。プログラマがいなくなれば、僕はゲームが作れなくなる。
なので、当時30歳っていう微妙な年齢ですけども、ゼロからやり直すことにしました。つまり「自分でも扱えるエンジンを探して」「一人で作る」。
XNA、Flash、C++、C#、いろいろ探りましたけど、プログラムのプの字もわからない僕には全然ダメでしたね。ツクールもスクリプトいじりまで行くと、途端にわからなくなる。
けっきょく永い挫折を経て、ウディタに辿り着きました。これなら動かせると。
あとは実際にドット絵を自分で打って、UIを手探りで作ってを繰り返しながら、どうしても作れないイラスト周り、エフェクトを他の方に手伝って頂くことにしました。
エンジン部を(ゲームが作りたい奴が)自分でいじれるなら、ゲームは完成できる。
永らく抱えてたミスマッチ感を、これでようやく解消できた気がします。音楽の仕事は音楽の仕事。ゲーム開発はゲーム開発として切り離すことで、ピントをあわせることができた。
思ったこと
めっちゃ金がかかる。生活費です。ゲームを作ってる間は無収入なので。個人制作はちびちびとしか開発が進まない。結果、時間が半端なくかかる。一時期、貯金が底をついて、こいつはまずいな…と思ったこともありました。お金がないときの精神的重圧はやばいです。
働きながらゲームを作るのは、かなりしんどいですね。
今後の目標
これからやるべきことは、すこしでもいいからゲームで収入を得て、ゲームを作りやすくすることかなぁ…と。
あと、ゲームの開発速度を上げること。時間がかかりすぎるのはキツイ。半年にひとつくらいのペースで出せるくらいのノウハウを作りたい。時間かかかると、お金もかかるので。
だいたいそんな感じですね。ひとまず、今思ってることを記録に残しておきます。